外務省HP「わかる!国際情勢」よりhttps://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol101/index.html
■カトリック信者の総本山としての「バチカン」
「バチカン」という呼称は,独立国である「バチカン市国」に加え,約11億8千万人とも言われる信者を擁するカトリックの最高機関「法王聖座(Holy See)」をあわせた総称です。宗教組織でありながら世界で唯一主権国家として認められ、聖俗両面を併せ持つ存在であるバチカンの元首である法王は,80歳以下の枢機卿(法王に次ぐ地位のカトリック信徒)約100名ほどによるコンクラーベと呼ばれる選挙で選ばれます。また行政面では,首相に相当する国務長官,外務大臣に相当する外務長官などが法王によって任命され,最高裁など司法機関も設置されています。バチカンに軍隊はありませんが,法王と法王宮殿の警備は中世を思わせるカラフルな制服を身につけたスイス人衛兵が担当しています。1527年,バチカンが神聖ローマ帝国軍に攻められた「ローマ略奪」の際,スイス人衛兵が身をていして法王を守り通したという故事が伝えられており,以来,「教会の自由の保護者」としてスイス人のカトリック信者がバチカンを守っているのです。
■ザビエルに始まる日本とバチカンの交流
日本とバチカンの関係は,16世紀,男子修道会イエズス会によるキリスト教伝来に遡ることができます。安土桃山時代~江戸初期に日本の使節とローマ法王との謁見が2度実現していますが,江戸幕府の禁教令・鎖国令によって交流は断絶しました。幕末の1857(安政4)年 に鎖国令が解除,明治維新後の1873年には禁教令も撤廃され,1892年大日本帝国憲法発布により信教の自由が保障されると,日本でのカトリック宣教も盛んになっていきます。日本がバチカンと正式な外交関係を樹立したのは,第二次世界大戦中の1942年でした。その際に相互に公使館を設置しましたが,戦後一旦引き上げて1952年に公使館を再設置。1958年に在バチカン日本公使館を大使館に格上げしました。1981年に来日したヨハネ・パウロ2世は昭和天皇とお会いになり,東京のほか,広島と長崎を訪問し,平和と核廃絶を訴えました。