元公明党委員長で元創価学会員、矢野絢也氏が黒い手帖を執筆した経緯、創価学会による政治評論家活動の中止の強要、黒い手帖の強奪と家捜し、家族にまで及ぶ監視・尾行、多額の財務の要求、激しい誹謗中傷など、公明党が氏を名誉毀損で提訴したのを皮切りに、様々な人権侵害行為を告訴、そして勝訴。
政界引退後、政治評論家として活躍していた矢野氏が、黒い手帖のメモをもとに「文藝春秋」に執筆していた手記の中で”政教一致”に触れた文章が学会内で問題視され、危険人物と見なされ見せしめの意味もあり、容赦なく徹底的に攻撃されることとなったのだった。
矢野氏の心情と創価学会の敵対者への対応から和解はないということを学びました…
告訴に踏み切るまでに、矢野氏は様々な要求を突きつけられていたそうです。
「事を穏便に済ませ、学会を敵に回したくない一心で、青年部や公明党議員OBらの要求をやむをえず丸呑みした」とあります。
最初はわりとハードルが低い要求なんです。
文藝春秋の手記について誤りを認め、謝罪することと100万円の寄付です。
和解したい一心で要求を受け入れても、これで終わりではないんですよ。
最終的な目的は矢野氏の社会的地位を剥奪し、財産も没収し、人間関係も壊すことです。
矢野氏が要求を受け入れるたびに、新しい要求がどんどん増えていきます。
要求を飲んでも激しい誹謗中傷を終えるつもりはないようで、「悪口をいわれても学会とともに行くことが大切」と苦行を強いられています。
和解が通用しないので、裁判で勝訴するしか解決方法がなかったのかもしれません。
次の記事は矢野氏が学会を敵に回したくなかった理由です。