集スト被害について強弱はありますが、基本ワンパターンです。
電車に乗っていると、左右と前方にスマホに繋がれた白いイヤホンをしてスマホで実況しているっぽい人たちが沢山いますね。
工作員認定キター
茶化している場合ではないのですが、私が集団ストーカー被害者の振りをした工作員という噂があるようです。
たぶんこの先こういった事実無根のデマ・誹謗中傷は加害者の悪意によって次々出てくると思うので、自分で対処法を考えていくしかないですね。
残念ですが。
そういえば集団ストーカー被害に気がつく1年くらい前でしょうか。
お菓子とチューハイを買うのを習慣にしていた時期がありました。
あるとき店員さんにきつい感じで身分証の提示を求められました。
成人してから一体何年経過していると思ってるのか…
身分証を見た店員さんは驚いてバツ悪そうにしていました。
そのときは若く見られたのかな?と思っていましたが、今思えは明らかに集団ストーカー加害者によるデマですね!(怒)
人をだまそうとする人の中にはすごく頭のいい人がいる。
こちらは知識がないので理路整然と難しい話をされると、その話はきっと正しい話なんだろうなと思ってしまう。
ただ、頭のいい人の意見がいつも正しくて善なのかというのはわかりようがない。
頭のいい人で正しくて善の人ももちろんいるし、頭のいい人で騙そうとしている人もいる。
マインドコントロールにもつながる話になるけれど、やはり他人の意見をそのまま鵜呑みにすることが一番よくないと思う。
難しい話を聞いた後感服はしても、自分で見たことがなかったり、知らなかったり体験していないことなら、自分の中ではわからないこととして一時保留としておくことが大事かなと思う。
その後で、その事柄について自分でも知識を深めていくことが騙されるリスクを減らすことに有効かもしれない。
江戸時代頃を題材とした物語でこんな話があったのを覚えている。
読み書きそろばんができないと人に騙されてしまうのだからと少女に寺子屋を勧める大人の話。
当たり前だけど、ここで話しているのは社会人の話で、教育を受けている学生は教員免許を持った教師に素直に学んでください。
社会人になっても自分に関わることに対して勉強することは、自分の身を守ることになり必要と思う。
矢野氏が創価学会を敵に回したくなかった理由は、創価学会のあくどい個人攻撃にありました。
(元創価学会顧問弁護士)山崎正友氏
(元公明党都議)藤原行正氏
黒い手帖には彼らに対する創価学会からの執拗で激しい攻撃が記されています。
そして山崎拓氏と創価学会の間で関係修復の手打ちが行われていたという元公明党議員・大橋敏雄氏の証言。
私の住んでいる福岡では、先の衆院補選で自民党の山崎副総裁を支援しました。
その際、山崎さんは創価学会の山本総九州長に過去の創価学会批判を謝罪するとともに、二度と批判をしないことを約束し、「異体同心」すると語りました。
これは創価学会や池田大作には絶対逆らいませんという踏み絵。もし逆らったならば、私や竹入さん、矢野さんのように人権も名誉も無視した卑劣な攻撃を受けることになる
これは自民党も創価学会票頼りという話の中にでてきたのですが、創価学会は個人攻撃によって創価学会に対する批判を封じているように思えます。
矢野氏の著書にも「言論には言論で」は通じないのかの中で、このようにいっています。
言論の封殺どころか、人権蹂躙までやってのけているとしたら、少なくとも正しい宗教のあり方とはいえまい。
ここでは創価学会の人権や名誉も無視した卑劣な個人攻撃の具体的な方法については書かれていません。
「創価学会の卑劣な違法行為」という別の章でその内容が詳しく書かれています。
「諜報部隊」広宣部という特殊部隊が創価学会内にあるそうです。
結成目的は顕正会の実態把握だったといいます。
当時の諜報活動の実態は以下のとおりです。
・構成員宅の郵便物などの抜きとり
・構成員の盗聴 ・交友関係の調査
・構成員への尾行 ・怪文書による攻撃
・構成員の出したゴミなどを持ち帰り、そのなかから情報を収集
極めて違法性の強い行為にも何の躊躇もなく手を染め、カルト化しようとしている。
監視、尾行、嫌がらせ、ゆえなき誹謗中傷などの違法行為は学会のお家芸ともいえるほど、常套手段化している。
矢野氏は創価学会カルト化の要因は池田大作氏への個人崇拝にあるといい、日蓮の教えの中にある「仏法」(最上位)「国法」(法律)「世法」(道徳)の中で創価学会員は「仏法」を優先してしまうことにあるとしています。
仏法が、世法や国法に反しない限りは何も問題はないが、相容れない場合はどうなるか。誰も地獄には落ちたくないから、国の法律や道徳には違反しても、仏法を貫くことになる。信仰に篤い信者ほどそういう間違った論理に迷い込んでしまう恐れが強い。
私は宗教は道徳であると考えています。
道徳を逸脱した仏法になってしまったら。 その時、仏法はカルトにとって都合の良い教えになってはいないでしょうか。
死者の霊が集うとされる山への信仰
日本には、恐山や月山、立山、熊野三山など、死者の霊が死後にそこへ行くとされている山が各地に存在しており、それらの山々が信仰の対象となることがある。
このような信仰と仏教が習合して、雄山神社のある立山なども地獄思想が発展していったそうです。
地獄谷や血の池がありますね。
立山博物館には地獄思想も解説されていて興味深かったです。
3.立山地獄と日本の地獄思想
立山は平安時代、修験の霊場として全国に知られた霊山でしたが、一方では、地蔵と地獄の山でもありました。平安時代の中頃、立山にも地獄・浄土思想が入り込み、他の霊山に先駆けて、立山火山の爆裂火口及び周辺部の景観をして、仏教の経典にいうところの地獄とみなし、隣接する弥陀ヶ原の池塘を「餓鬼の田」と呼んでいます。
平安時代後期に著された『本朝法華験記』や『今昔物語集』等の説話集に度々立山の地獄が登場します。また、越中国森尻(現立山町)の智妙坊が生きながら畜生になった話は、鎌倉時代に僧無住の著した「妻鏡」に採録されています。
本来、来世の世界であり、バーチャルの世界であるはずの地獄の世界が立山山中という現実の中に顕れる。このことが、「地獄」そのものに現実の世界を与え、日本人の地獄思想の形成に大きな役割を果たしたのです。
室町時代には、世阿弥の作と伝えられる謡曲「善知鳥(うとう)」が上演され、現在にも受け継がれています。江戸時代にはいると、地獄思想は立山曼荼羅に描かれた地獄の絵解きによって広く庶民の中に浸透していったのです。近代に入っても宮沢賢治・芥川龍之介・太宰治などの文学者の生き方に反映されています。
かなり以前に行ったので詳しくは覚えていないのですが、立山博物館には前人未踏と思われていた剣山頂に刺さっていたという8世紀頃の錫杖を当時見ることができ感動したのを覚えています。
宗教は死後の世界にも関わっています。
しかし、虫などを殺生したり、お酒を飲んだりすることで地獄行きが決まってしまうともあるので、あまり気にしない方がよいのかなとも思ってます。
神道だと御神酒を奉納したりするので、日本ではお酒を飲むことも身近なことなのかなと思うのですが。
仏教には地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道輪廻があります。
そして、地獄にはこんな風になっているのだそうです。
灼熱地獄・炎熱地獄
大焦熱地獄・大炎熱地獄
阿鼻地獄・無間地獄
さらに「十六小地獄」があります。
その様子は下記のサイトに詳しく説明されています。徳島県牟岐町正観寺
こちらのお寺はテーマパークではないのですが、地獄について人形をつかって視覚的にわかりやすく説明があるので興味のある方はいかがでしょうか。