集団ストーカーを知らなかった頃、私の受けている不特定多数の車からのストーカー被害や、所属する複数の地域で同時多発的に遭遇する人間関係のトラブルに悩んでいた頃、様々な人・機関に相談していました。
その中のアドバイスのひとつに、「犯罪を犯したわけでもないのだから、堂々としてればいいんだよ」というものがありました。
人間関係に対してはそれもそうだなと思いました。
その後その人も加担する事がわかり…。
しばらくたち、先の人とは無関係の相談機関から、また同じように堂々としていればよいとアドバイスをもらいました。
ちなみに集スト否定派で、集ストビラを見た後のアドバイスです。
またか…でも車のつきまといを相談しているのにあんまり関係ないよ…と思いました。
加害者加担者が被害者に対応する言葉にはいくつか定型文があるように思うのです。
p58
宋さんは青森出身の在日二世だった。通称名は大原で、日本人の中に混じって育ったが、近所に朝鮮人の友達も何人かいた。そんな環境の中で、民族意識が少しづつ芽生えたが、常に差別されているのではないかという、幼い頃からの不安があった。ことさらに差別された記憶はなかったが、大学に入って勉強すると、かえって差別意識が募り、四年生になって、卒業が近づき、社会に出るようになるとますます不安を持つようになった。それを日本人の先輩に相談したりもした。「差別されるのが怖いんです」「それは大原君の気持ちの持ち方の問題だろう?周囲がどう思おうと、本当に朝鮮人としての誇りを持ち、堂々と朝鮮人として振る舞えば、誹謗や中傷などは耳に入らないはずだ」「僕もそう考えようとはしましたよ。しかし、現在の日本社会には、たとえば就職差別など、本人心の持ち方だけではどうにもならない差別が歴然としてあるんです。堂々と振る舞おうとすると生きづらく、要領よく生きようとすると本当のことを隠さなくてはならない。先輩は日本人だから、こればかりはわかりませんよ」