いわゆる「集団ストーカー」は「糖質」の被害妄想か? そ の1
創価学会による組織的な嫌がらせは、統合失調症の典型的な症状を、人為的に作り出すという、 巧妙な手口をとる場合が多い。標的にされるのは、主として批判者や脱会者である。「監視されている」、「誰かが自分の悪い噂をしている」、「耳鳴りがする」 嫌がらせにより、被害者をこのような状態に追い込み、誰かに相談しても、相談を受けた人が、 「この人は心を病んでいるのではないか」という印象を持つ状況を作り出す。 これが、創価学会の陰湿な嫌がらせの実態である。モスキート音の発生装置などを用いて、被害者に不快音を照射したり、後述する「咳払い」によって 不安感を与えたり、聞こえるかどうかの微妙な距離・声量で悪口を言うというのが、主な手法である。このような「被害」を仮に警察等に訴えても、「その程度では警察は動けない」とか、 「精神科を受診してはどうか」と言われるだけである。 また、実際に被害を受けたことのない人にとっては、被害妄想と区別しがたいのも事実だ。こうした嫌がらせで標的を孤立させ、精神的に追い込むことで、創価学会にたてついた者が不幸に なる姿を会員に示し、人為的な「現罰」の恐怖で脱会を防ぎ、組織の引き締めを図っているのである。
いわゆる「集団ストーカー」は「糖質」の被害妄想か? その2
創価学会員の典型的な嫌がらせの手口である、「咳払い」について、やや詳しく述べる。通りすがりの見知らぬ人から、すれ違いざまに不自然な空咳をされれば、多くの人がギクリとする だろうが、それが1、2回であれば、気のせいとしてすぐに忘れてしまうだろう。だが、ある日を境に、それまでの人生経験よりもずっと多い頻度で、わざとらしい空咳を 面識のない他人から、すれ違いざまに浴びせられれば、普通の人は何かおかしいと思うだろう。人によってはその空咳を、「お前はこちらを知らないだろうが、こちらはお前を知っている」 という示威のように感じ、監視されているのではないかという不安に襲われてもおかしくない。また、このような「咳払い」の被害を警察に訴えても、当然のことながら取り合ってもらえないし、 誰かに相談しても、「気にしすぎ」と受け流される場合も多い。標的と面識のない学会員を動員して、罪に問われることのない軽微な嫌がらせを組織的に行い、 被害者に不安感を与え、さらに孤立に追い込む、陰湿な手法である。
いわゆる「集団ストーカー」は「糖質」の被害妄想か? その3
上述のとおり、創価学会の嫌がらせの手口は、実に巧妙で悪質である。警察が捜査に乗り出すことがない、犯罪未満の嫌がらせや、証拠を残さない犯罪行為で、標的を追い詰め、 標的が被害を訴えても、事情を知らない人からは、精神病患者の被害妄想としか受け取ってもらえない。被害者がネットで実情を世間に訴えても、「糖質」、「精神科の受診をお勧めする」で火消しができる。 いわゆる「集団ストーカー」の被害の訴える者は、実際に創価学会の嫌がらせを受けている者が多いのだ。 中には創価に追い詰められ、心を病むにいたった者もいるだろう。純然たる精神病患者は少数ではないか。創価学会の強引な勧誘(折伏)や、押し付けがましい投票依頼は、良識ある人なら反感を覚えるのが 当然だし、中には学会員に面と向かって批判を口にする者もいる。そういう人間が彼らの標的にされる。創価学会とは、このような良識と勇気のある人間や、創価学会の異常さに気付いて脱会した者を 「仏敵」と呼び、組織的に追い詰め、社会的に抹殺しようとする、恐ろしいカルト宗教である。警察が事件化しない手口をとっていることからマスコミも報道しないが、実際に被害を受けている者は 日本全国に相当な数存在している。警察が取り締まらなくても、マスコミが報道しなくても、創価学会は依然として反社会的カルトである。 このようなネットでの書き込みの影響力など微々たるものだが、それでも声を上げ続けなくてはならない。仏教では六道輪廻を説くが、創価学会はこれを現世における境涯のことであると解釈する。 脱会者・批判者が、現実に地獄の境涯に落ちる姿を信者に見せることが、彼らにとっては正当性のあかしなのだ。※ 創価学会員が言う、標的を「落とす」とは、「地獄の境涯に落とす」という意味である。