創価学会の教義のなかには、ややもすれば社会の規範に反しかねない教えが含まれている。
と矢野氏が書いているように、はた迷惑な教えがいくつかあります。
p161「簡単に不法行為に手を染めるわけ」の章には、
「仏法、国法、世法」のうち、最上位に置かれているのは仏法だ。国法とはすなわち国の法律、世法とは道徳である。そのふたつより、仏法が上で、これを破れば、地獄に落ちると教えられる。
仏法が、世法や国宝に反しない限りは何も問題はないが、相容れない場合はどうなるか。誰も地獄には堕ちたくないから、国の法律や道徳には違反しても、仏法を貫くことになる。信仰に篤い信者ほどそういった間違った論理に迷い込んでしまう恐れが強い。
さらに危険なことには、現在の創価学会の教えは、仏法というよりは、事実上の「池田教」に変容している。
いい換えれば、絶対権力者である池田名誉会長の意向が社会規範に外れていても、誰も止める者はおらず、すべて絶対的な言葉として通る。(中略)
池田さんが『国法より仏法が上』といえば、社会的不正も犯してかまわんとなるから、罪の意識さえなく、犯罪集団化してしまう
これは矢野氏や阿部日顕師に対しての監視・尾行・盗聴などの行為や、矢野氏の知る編集者が、公明党・創価学会がらみの書籍を担当した途端、正体不明のグループによって尾行や嫌がらせを受けたという話が該当します。
集団ストーカー被害者のことを「仏敵」と呼んでいるという話があるのですが、仏敵や仏罰というと、まるで仏様が嫌がらせや犯罪の大義名分のように錯覚してしまうので、池田罰に名称変更してほしいです。
また、p65「離反者に加えられた容赦なき攻撃」の章では、
学会会合においても、誹謗中傷は日常茶飯事で、名はすべて呼び捨て、罵詈雑言のオンパレードである。
学会会合の会場の入り口には、それらの人の名を書いた色紙様の紙を置き、会員たちにあたかも踏み絵のように土足で踏み躙らせた。こうすることによって会員の増悪心を掻き立てただけでなく、躊躇する者は異心ありとして学会への忠誠心を確かめたのだった。
また、会合では彼らの名前を記した色紙様の紙を置き、呪い殺さんかのように会員に指導した。
なお、上記の撲滅祈願の指導は証拠になるとまずいので現在では取りやめているそうですが、学会の諸施設や会員の家庭では、学会に敵対する者に悪のレッテルを貼り、その消滅を願って祈り続けているという話もある。学会員にそういう指導が行われているとも聞く。とのことです。
敵対者認定し、呪い殺すかのような指導を行う、とても攻撃的な一面を持っています。
矢野氏を批判している聖教新聞紙上の座談会の様子も会話形式で掲載されているのですが、そのひどく激高している様子は常態化していて、集団ヒステリーになっているのではないかと心配です。
皆が嫌っているから、上の人が嫌っているから嫌う、その怒りには意味がない。
しかもデマに対してこんなに怒ってるのですから…本当に無駄なエネルギーです。
矢野氏も事実無根のバッシングがあり、「嘘も真実にされてしまう怖さ」という章を書いています。
そして、広宣流布の教え。これはその昔、折伏大行進がありました。
この「折伏」という言葉ですが、『朝鮮総聯の大罪』にも勧誘の場面で使われていました。
なぜ広宣流布が重要な教えかというと、戸田第二会長はこう記しています。
しかしわれらが政治に関心を持つゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである。ゆえに政治に対しては、三大秘法稟承事における戒壇論が、日蓮大聖人の至上命令であると、われわれは確信するものである
国立戒壇の建立とは、日本国民の大部分がみな、日蓮大聖人を信仰するという宗教国家になったとき、時の天皇の勅語によって「国立」でご本尊の戒壇をつくる。そうすると王仏冥合の精神に基づく理想の社会が築かれるという教えです。日蓮聖人の「立正安国論」です。
公明党は、立正安国論の精神に基づいて創立されましたが、政教一致と非難されるのを避けるため、今ではこの思想は政治目的からは削除されているそうです。
しかし日蓮聖人の教えは池田氏の「天下を取る」という野望を実現するのに利用できた。
王仏冥合については、戸田第二会長の「王仏冥合論」を引用します。
日蓮大聖人が政治と個人の幸福とは一致しなければならぬと主張あそばされたのが、王仏冥合論である。社会の繁栄は一社会の繁栄であってはならない。全世界が、一つの社会となって、全世界の民衆が、そのまま社会の繁栄を満喫しなければならない。それが王法と仏法の冥合である。日本の民衆の幸福のために、他の民衆を犠牲にしてはならないし、アメリカの民衆の幸福のために、日本の民衆を犠牲にしてはならない。共産主義の一指導者のために、他国の民衆が犠牲になってはならない。世界の民衆が、喜んでいける社会の繁栄のなかに、各個人もまた、喜んでいけなければなるまい。それが王仏冥合の精神である
王法が仏法に冥じ、仏法が王法に合する
王法の理想とは民衆の安寧と福祉にあるそうです。
公明党結成当時も、政界浄化、平和、福祉を政策の柱に掲げ、とくに児童手当制度はもっとも注力した政策だったそうなのですが…
公明党は池田氏を守るために尽力してきました。
昭和44年から45年にかけて起きた言論出版妨害事件では、政治評論家の藤原弘達氏出版予定の『創価学会を斬る』について、公明党都議などが出版の中止、題名の変更、出版時期の延期、原稿の閲覧、池田会長を扱わないなどの措置を求め、藤原氏が拒否すると、田中角栄氏にとりなしを頼み、公明党の資金で買取る・NHK解説委員への就任などの条件を提示。
藤原氏はさらに拒否し、『赤旗』に事実をリークしたことで「これは出版と言論の自由を侵す悪質な妨害」と追求が始まり、池田会長の証人喚問の声も上がり、創価学会が世間の非難の矢面に立たされたときには、矢野氏も火消しにまわり、公明党は池田氏の国会へ証人喚問を阻止すべく駆けずり回ったのだそうです。
最後は、創価学会総本部総会で池田氏が言論妨害を謝罪し、政教分離を宣言したことでこの問題が収束したそうです。
そのときの池田氏の様子の引用
失礼ながら渦中の池田氏は、そのころ国会喚問に脅え恐怖におののいていたように見えた。「私を守れ」と連日のように私にも指導があり、学会や党幹部に「証人喚問には絶対に応じない。絶対に阻止せよ」といわれるのを聞き、ある幹部議員は、「これだけ公明党は死に物狂いで国会で頑張っているのに、先生は臆病。卑怯だ」と呟きもした。池田先生の狼狽振りを目の前にしていただけに、私にとっても痛烈な幻滅だった。
あの颯爽とした先生はどうしたのかと。
自公連立についてこのような表現もあります。
創価学会という天守閣の頂上に池田名誉会長が鎮座し、その周囲を青年部という旗本が守護し、そして譜代大名であり城壁でもある公明党があり、その外側を自民党という外様大名が守っている、と。
設立当時は宗教的ではありますが、国民の福祉と安寧という崇高な目的を掲げた公明党でしたが、池田氏の盾に成下がってしまっています。
そして、政権与党を実現し、池田氏の野望を完遂する存在となってしまっています。
矢野氏のいう、過去の事件に関しては、いずれ、すべてを白日の下に晒す日が来だろう、その日が早く実現してほしいですし、そのような社会になることを望みます。