p185「洗脳そして崇拝教育」の章より引用。
創価学園では、教室に池田氏の「ご真影」が掲げられている。『週刊ポスト』1988年6月10日号が、その様子を写真入りで報道した。
学園ではただちに職員会議が招集され、当時、副校長だった杉本芳雄氏が、
「池田先生の来校を願って教職員が題目を唱えることのどこが悪いのか。生徒に特撮隊を組織させて創立者を迎えるのは美しい姿ではないか。教室に創立者の写真と創立者コーナー、そして創立者の働きを伝える聖教新聞が掲示されているのも当然でしょう。生徒の真心から来るもので、それを踏みにじるマスコミはけしからん」
と憤慨し、小林道夫校長も、
「学園においては創立者以外どんな人物の介入も絶対に許されない。法的、倫理的にも何の落ち度もない。魔に粉動されてはならない。敵の思うつぼだ」
とぶち上げたという。
また、『現代』1990年4月号の「創価大学・学園『池田洗脳教育』五〇時間のテープ」から、創価学園の学園祭である「栄光の日」かつての栄光祭の様子。
某校長はその日が近づくと、全校集会を開き、全教職員、生徒に向かって、
「創立者と生涯変わらぬ師弟の誓いを立てるのが栄光祭です。他の学校では絶対ありえない、学園のみの名誉ある儀式なのです。創立者のご期待に応える不転退の決意が必要であります。しかし、今年諸般の事情により、先生はお見えにならないかもしれない。創立者に出席していただくことが、とりもなおさず栄光祭の成功を意味する。諸君の一念、師匠への思いが試されるのです。祈って祈って創立者池田先生をお呼びしようではありませんか」
と訓示したそうである。
また教職員は当日こう語った。
「学園としては待ちに待った先生のご来校であります。一番心配をしておりました天気もどうやら晴れ上がってまいりまして、晴天でよかった。先生は非常にお忙しい中を、時間をかき分けるようにして学園へおいでくださる。とくに高校一年生は、学園に入ってきたほとんどの理由が、先生との出会いにあります。その最良の日を今日迎える。彼らにとっては生涯忘れられない日となる・・・・・・(全教職員は)休み時間、昼休みに、もう一度学校中の掃除チェックを願います。先生を気持ちよくお迎えしようという真心は、形に現れなければ真心とはいえない」
過去には、池田氏の独裁にたまりかねた創価学園の教職員が、1978年9月と翌1979年3月の2回にわたり、公開質問状を送るという事件もあった。古川利明氏の著書、『カルトとしての創価学会=池田大作』によれば、公開質問状は次のような内容だったという。
一、無資格の教員が教科を担当している。
二、必須教科の授業を行ってない。
三、創価学会の宗教行事のため、授業日数が圧迫されている。
四、池田氏によって運営が左右され、ことにその意を代表する校長の独裁が行われ、理事会や職員会議が全く無視されている。
五、教員は、労働基準法に全く違反した過酷な勤務条件を強いられ、創価学会の宗教行事を強制される。私生活も学校内の行動も、全て創価学会の組織に監視される。
六、入学試験において、信仰によって差別が行われ、また、経済状態によって差別が行われている
ここに出てくる、「労働基準法に全く違反した勤務条件」とは、「地方出身の生徒は学校に隣接した寮に入っていたが、そこでも若手の教員が一緒に泊まり込んで勉強を見たり、勤行や御書購読などを通じて、池田大作との『一体感』を生徒たちにたたき込むことを一心不乱にやっていた」ために、という。
このうちいくつかは改善されたようだが、創価学園においては今なお、池田氏は絶対的な存在で、その教育が池田氏と創価学会の礼賛に終始していることには変わりはない。池田氏への忠誠心と崇拝を強いる教育が、果たして健全をいえるだろうか。
「魔に粉動されてはならない」と、良い大人が「魔」と公言していることに引いてしまいますし、「敵の思う壷だ」と仮想敵を作り被害者意識が強いのは何故なのでしょうか・・・。
教員資格のない者が生徒を教えていたという事実にも驚きます。