集団ストーカーの手口について、気づいたことや考察をわかる範囲でブログに載せてきました。
矢野氏著『黒い手帖』には、ありとあらゆる権謀術数を勉強しているなどと書いてある箇所があります。
もしかしたらそういった体系化された手口が、集ストにも利用されているのかもしれません。可能性として。
p297「クーデターを立案していた青年部」の章より引用します。
池田氏は「内部はどこまでも革命児でなければならない」という考えの持ち主である。国家を転覆させても、自分が天下を取りたいという野望を抱いており、『水滸伝』や『三国志』、ヒトラーの「第三帝国」を、公明党の議員や青年部の幹部に勉強させ、ありとあらゆる権謀術数を会得させようとしているという話もある。いざというときには、日本占領のためにクーデターもやりかねない怖さがある。
また、池田氏は幕末の坂本龍馬が好きだったのかなと感じたエピソード。
池田氏は日中国交回復や中ソ和平は私の尽力の賜物と自ら吹聴していたそうです。
それなので、元公明党の竹入氏が新聞の連載誌上で日中国交回復に微力を尽くせて政治家冥利につきるなど書いたことから、竹入氏もまた創価学会の執拗な個人攻撃を受けることになってしまいました。
内容は罵詈雑言、家族への批判(本人の経歴・夫人の学歴・資産・海外旅行の履歴・子息の入学の経緯など)、尾行や監視といった非合法行為を10年以上、「党の公金を横領した」というでっち上げなどでした。
p68名誉会長の逆鱗に触れた竹入回顧録の章から、2008年『新潮45』「公明党・創価学会を揺るがす『池田大作』の老耄」記事から引用。
「アメリカをはじめ、世界への広宣流布も希望の第二幕となったことを宣言します。
ソ連と中国の対立。すごい大ゲンカ。国境で2度、軍事衝突しました。1973年、(両国は)互いに疑心暗鬼となり、非難合戦を繰り返していた。1974年、昭和49年の5月、私は第一訪中をした。私は北京の中学校や市街地で多くの市民がソ連の攻撃に備えて防空壕を建設する姿を目の当たりにした。
この9月、私は第一次訪ソを果たし、コスイギン首相と会いました。一民間人(の私が)です」
「私は質問した。”ソ連は中国を攻めるか、攻めるつもりがあるんですか”と。首相は答えました。”ソ連は中国を攻撃するつもりも、孤立化させるつもりもありません”と。
私は“信じていいんですね。それを中国の首相にそのまま伝えてよろしいですか”と確認した。コスイギン氏は”結構です。お願いします”と答えた
そして12月、私は北京で鄧小平副首相と会見し、中国との関係改善を望むソ連の意向を勇敢に伝える。つぶさに(伝えた)。その後、両国の対立は徐々に軟化。1989年5月、コ書記長(ゴルバチョフ書記長とおっしゃりたかったようである)が北京を訪問を果たした。中ソ会談が開催され、国交正常化した。」
そして、幕末の志士を引合いにするエピソード。幕末詳しい。p51「池田親衛隊は学会随一の過激集団」の章より。
たとえば池田会長は2008年7月の本部会で、青年部に、こう檄を飛ばしている。
幕末の志士・吉田松陰と高杉晋作の師弟関係に触れ、高杉が松陰の墓前に「師の仇を必ず討つ」と誓ったというエピソードを引用した後、<師の仇は弟子が討つーこれが、創価の正義の血脈である。焦点は青年である。青年の時代である。頑張ろう!戸田先生のもと、私は数々の重要な戦いの指揮を託された。そして敢然と勝利した。私は学会を、戸田先生を守った。諸君も、麗しき草加の師弟の世界を守り抜いていただきたい>
ついでに。
<青年部、頼むよ!青年部が我が師の心を我が心として進めば、何も恐れることはない。いかなる障魔も、打ち砕くことができる。青年部は師弟直結で進むのだ。牧口先生(第一代創価学会会長)には、戸田先生(第二同会長)という、師の心を知る弟子がいた。そして戸田先生には私がいた。私には信頼する君たちがいる。頼むよ。また、あるとき、戸田先生はこう語られた。『途中に何があろうが、最後に勝て!断じて勝て!最後に勝てば、全部勝利なのだ』これを忘れずに頑張ろう!>(以上聖教新聞2008年7月22日付)